2007年2月15日 (木)

5文型のまとめ;働きかける“対象(O)”の意識のしかたが分かれ道

ここしばらく、英語の基本と言われている5文型を整理してきました。
正直なところ、5文型とこんなに真面目に向かい合ったのは生まれて初めてです。
こんなに奥深いものだとは思っていませんでした。
もっとサラッと整理できると思っていたのです。
ナメてはいけませんね(苦笑)

さて、まとめとして、改めて5文型を概観してみます。

まず、分岐点となるのが、いわゆる動詞(動作概念語)の“対象”があるのか無いのか?ですね。
この分岐点によって、英文の種類は『何はどうする』と『何はどんなだ』の大きく二つに分かれることになります。

そして前者の『何はどうする』は、SVO(第3文型)を基本型とし、いくつかのバリエーションに展開されるように考えられます。
 ・Oが無く、Sが“対象”となる第1文型
 ・Oが二つある第4文型
 ・Oがある状態になるように働きかける第5文型
また、後者の『何はどんなだ』は、動詞が働きかけるもののない特殊なカタチで『存在状態』を説明する文になると捉えられます。
かなり大雑把な捉え方ですけど。

図的に描いてみるとこんな感じでしょうか…

┌─────────┐ 
│働きかける“対象”│
└┬────────┘
 └〔有〕┬ 対象が外にある(SVO)
  │   │  ├─ 対象が二つある(SVOO)
  │   │  └─ 対象をある状態にする(SVOC)
  │   └─対象が中にある(SV)
 └〔無〕─ 存在状態を表す(SVC)

う~ん、テキストベースでは、うまくかけないですね(笑)

それぞれの感覚はこうですね
──────────────────
・第1文型(SV)<V>の感覚:自分が“対象”、自律する感覚
・第2文型(SVC)<V+~>の感覚:(対象の無い)存在状態の説明『単なる説明』
・第3文型(SVO)<V+■>の感覚:(まず“対象”ありき)“力が及ぶ”感覚
・第4文型(SVOO)<V+■+■>の感覚:『受け渡し』の感覚
・第5文型(SVC)<V+■+~>の感覚:“対象”がある存在状態なるように働きかける感覚、仕向けていく感覚
──────────────────

このような感じですね。
なんだか一通り説明をサラッと読めばオシマイだと思っていたのですけど、なかなか大変でした。
学校で真面目に勉強していなかったから尚更ですね(笑)

このように改めて概観してみると、
主体と対象という二つの関係が明確に示されているように感じ、英語は形而上学的な西洋の言葉なんだなぁ~…と感じずにはいられません。

そして、これらが動詞を軸とした単語配列のカタマリとなって、文の中に顔を出すことになります。
文よりも小さなカタマリなので“句”と呼んでいいものと思うのですが、“動詞句”というとまた別の意味になってしまいそうです。
『チャンク英文法』では、『動詞を軸にした単語の配置(型)』によりカタマリになったものを“動詞チャンク”と呼んでいるようです。
こういう表現のしかたもあるのですねぇ~。

動詞は特別なように感じられますが、“動詞チャンク”が名詞と同じように何度も顔を出してもよいわけです。(文の意味に筋が通っていればですけど)
現在分詞や過去分詞などの修飾する句となったり、分詞構文となったり、to不定詞になったり。
動詞が“対象”の説明を必要とする言葉なので、動詞を引き合いに出すとそれに付随して説明をしなければならないことも出てくるだけのことのように思われます。

細かい部分では勉強が足りていませんけど、まず、英文法全体を概観できるようになってから、詳細を改めて勉強します。

取り敢えず、前にすすまなきゃ!

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2007年2月14日 (水)

知覚動詞も『伝えたい感覚に違いがあるから、表現(カタチ)の違いがある』

第5文型のバリエーションでひとつ整理しておくのを忘れていたものがありました。
それは知覚動詞(知覚構文)です。

知覚動詞は使役動詞と並べられて解説されることが多いですよね。。
使役動詞と同様に、いわゆる第5文型SVOCの“C”に原形不定詞が置かれることがあるためかと思われます。

もちろん、知覚動詞を使う場合に、“C”に置かれるのは原形不定詞だけでなく、現在分詞や過去分詞なども置かれます。

今まで、五文型やto不定詞の感覚、それに原形不定詞が置かれるときの感覚を見てきて、
『表現したい感覚があるからこそ表現(カタチ)の違いがある』ことが理解できるようになってきましたので、
もう、これも何も問題はないですよね。

まず、知覚動詞の後ろの“C”に原形不定詞が置かれるケース。
I heard the bell ring.
(私はベルが鳴るのを聞いた)
「ベルが鳴る」という状態を耳にしています。
ここで、ringは鳴るという概念をそのままプレーンに表していますので、
動作(変化)のある概念でありながら、プレーンな感じをもつ少々広い時間幅を感じさせます。
『ALL IN ONE』では、こういった原形不定詞が置かれる場合には、
動作・行為を最初から最後まで聞いていた(heard)状態であると説明していますが、
動詞の現在形の感覚が分かっていれば、敢えて「最初から最後まで」と意識しないでもよいかと思います。
そして、the bellを今とは違うある状態に変えていくわけではなく、自然に耳に入ってきていたので、to不定詞ではありません。
もともとthe bell がringの状態であること(一致している状態)を耳にしているのですからね。
楽勝ですね(笑)

次に知覚動詞の後ろの“C”に現在分詞が置かれるケース。
I heard the bell ringing.
(私はベルが鳴っているのを聞いた)
日本語では違いが分かりにくいですけど、“C”がringing(現在分詞)になることで、
the bellがringingの状態であることを耳にしたのを表現しています。
ringing、つまりringの動作・行為の変化している部分(動き)がクローズアップされた状態。
その状態を聞いたというだけのこと。
伝えたい内容(感覚)が違うからこそ、違う表現になっているわけですね。

そして、知覚動詞の後ろの“C”に過去分詞が置かれるケース。
I heard my name called.
(名前が呼ばれるのが聞こえた)
my nameがcalledという過去分詞で説明されています。
過去分詞は“距離”分詞でしたよね。
ここでの“距離”は時間的な距離(過去)ではなく、空間的な距離ですね。
動作の主体がmy name とは空間的に距離があるところに在りますので、「名前が呼ばれた」となります。
そして、それが耳に入ってきた。
そういう状態ですね。

今までの整理した内容をそのまま適用していけば済みそうです。

ここで、きちんと記憶にとどめておく必要があるのは、
次の表現で意味が変わることかもしれません。

a) I heard her sing a beautiful song.
b) I haerd she sings a beautiful song.

違いは分かりますか?
a)は、いわゆる第5文型のSVOCで、“O”=“her”、“C”=“a beautiful song”
いわゆる第5文型は、第3文型の応用ですから、まず“対象(O)ありき”の表現です。
“対象”の存在を意識し、それがどのような状態であるかが“C”で説明されているのですよね。
だから、a)はheardの直接の対象である彼女が歌を歌うのを直接聞いたことを伝えています。

一方b)は、いわゆる第3文型のSVOで、“O”=“she sings a beautiful song”
heardの対象が“she sings a beautiful song”であって、
昨日整理した<V+(that)...>の感覚『報告の感覚』でthatが無いカタチです。
(丁寧に導いているのではなく、サラッと伝えている)
that 以下のこと全体をひとくくりに指して、そのことを聞いたというのですから、
人づてに聞いたことになり、ここでは直接彼女が歌うのを聞いていないと捉えられます。

実は、私は、このa)とb)の感覚の違いを全く理解できていませんでした(苦笑)

文のカタチの違いによる感覚の違いがわかれば、間違わないで済みそうです。
なかなか面白いですね。
一歩前進です(笑)

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2007年2月13日 (火)

“いわゆる第3文型”のバリエーション<V+(that)...>の感覚:報告の感覚。丁寧に説明を導くときにはthatは省略しない。

『ハートで感じる英文法』(ムック)の『主要文法のイメージ』には、文の型と独自の感覚とが結びついたものとして、
もうひとつオマケに、『報告する』感覚・感触の宿るカタチが紹介されています。

<V+(that)...>のカタチですね。

I think that you are wrong.

私が「思っている」その内容を報告するカタチだとのことです。

このカタチでよく用いられるものは、
・believe that ... (って信じている)
・say that ... (って言っている)
・know that ... (ということを知っている)
らしいです。

これらのカタチは“いわゆる第3文型”(SVO)で、“対象”がthat以下の内容で、その内容をまとめてthatで括って滑らかに導いているようですね。

この“括っている”thatは、あってもなくても意味は通じます。
そして、これも通常、機械的に『省略可』って解説されます。

でも、『異なった感覚やニュアンスがあるからこそ、異なった表現(カタチ)がある』のでしたよね。
helpを使ったいわゆる第5文型で、toがあるのとないのとでは違うように、これもあるのとないのとでは感覚がことなってきます。

このことについては『ハートで感じる英文法』(ムック)のLesson 3に詳しく書かれています。

thatを使うときには『文を滑らかに、丁寧につむいでいる感覚』があるときで、
会議のときに趣旨を丁寧に説明するときや、接客時などの丁寧なものいいでは、thatを省略せずに入れると、その感覚が伝わるようです。

実は、『ハートで感じる英文法』に出会うまで、このことを全然知りませんでした(苦笑)
う~ん…勉強になります!

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2007年2月12日 (月)

<help+■+(to)...>の“to”は理由も無く“省略可”なのではない。違う感覚があるから違う表現がある。

使役動詞では、動詞の持つ意味内容から、to不定詞ではなく原形不定詞の方が相性が良くなることを昨日書きましたが、
使役動詞と同様に、“対象”をある状態に変えていく感覚を持ちながらto不定詞を用いない場合がある動詞が他にもあります。

それは“help”です。

『ALL IN ONE』の解説では次のように書かれています。
===============================
「help O to Vb」は、toを省略して「help O Vb」とすることができます。(toを省略した形の方がよく用いられます)。「help O to Vb」が可能な動詞の中でtoを省略できるのはhelpだけです。
===============================
『省略できる』ことは書かれていますけど、何故、to不定詞も原形不定詞も用いられるのか?その理由は書かれていませんね。

今までその理由がきちんと説明されたものに出会ったことがありませんでした。
これも使役動詞と同様に「そういうものだから…」と思っていました。
私が勉強不足のせいもありますけど(笑)

でも、<V+■+to...>のカタチや使役動詞のところで整理したように、to不定詞の“to”の感覚が分かればどうということはなかったですね。

helpでは、to不定詞のtoを省略する習慣がたまたま偶然生じたわけではなく、
to不定詞を用いたほうが話したい感覚に合う時と、原形不定詞を用いた方が感覚に合う時とがあるから、
両方を用いているわけです。

よくよく考えてみると当たり前です。

ある人を助けるとき、<V+■+to...>のカタチと同様に、“対象”をある状態になるように促すだけでよい場合と、
使役動詞と同様に、強引にでもある状態にしていかなければならない場合とがあります。

何度もゼンマイ仕掛けのオモチャの例を挙げて申し訳ないですけど、、
<V+■+to...>のカタチは、『オモチャの方向をクルッと向ける感覚で“対象”をある目標(行為)に向けて促す感じ』で、
<V+■+...(do)>のカタチは、『オモチャをダイレクトに、ある目標(行為)まで持っていく(一致させる)感じ』なわけです。

これをhelpに当てはめてみましょう。

例えば、海で溺れている人を助けるとき、「陸の方向は向こうだよ!」と言って溺れかけている人を促しても何の助けにもなりません(笑)
to不定詞の感覚では助けにならないわけです。
こういう場合には、強引にでも陸に連れて行ってあげないといけないですよね。これは使役動詞と同様にtoのない原形不定詞の感覚です。

でも、人を助けるときには、いつもいつも強引に助けてあげるのが良いとは限りません。
助けたい人(対象)が、ある程度、自分でどうにかできる能力があるのなら、アドバイスしたりちょっとした手助けだけで良いかもしれません。
そういう時には、to不定詞の感覚の方が合っていますよね。

このようにhelpは、to不定詞にも原形不定詞にも合致する感覚(意味内容)を持っています。

たまたま「toを省略してもよい」わけではなく、表現したい内容やニュアンスに合わせて使い分けていくべきだと思われます。
逆に、この感覚が分からないと、うまくニュアンスが伝わらないのではないでしょうかね?

英文法のルールがあるから省略できるのではなく、
表現したい感覚に違いがあるから、違う表現がある。
これを無視した教え方をしすぎているのではないでしょうか?

英語はやたらと“勉強法”ばかり強調されますけど、
「どのように勉強するか?」よりも「何を勉強するか?」の方がよほど大事じゃないのでしょうかね???

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2007年2月11日 (日)

使役動詞ではto不定詞ではなく原形不定詞がくる理由:“対象”と行為・行動とのダイレクトな一致

今日は、“いわゆる第5文型”のバリエーションである使役動詞<V+■+...(do)>について整理します。

使役動詞が使われる時の感覚については、改めて書く必要がないぐらい有名(?)ですよね。
「人にさせる」とか「人にしてもらう」という感覚です。

基本的には、“いわゆる第5文型”のバリエーション<V+■+to...>の仲間ですので、
ある目的とする行動・行為(動作概念)に向けて“対象”の状態を変えるのですけど、
その強制力が<V+■+to...>とは違ってきます。

このブログをお読みの方は、学校で使役動詞を習ったとき、
“C”に入るものが、to不定詞ではなく、原形不定詞である理由をきちんと理解しましたか?
私は、「“使役動詞”という特別な名前がついているのだから、特別なのだろう…」としか思わなかったのです。
理由は全く考えなかったですね(笑)

でも、昨日書きましたように、to不定詞の“to”の感覚が分かれば、
使役動詞とto不定詞とは相性が良くないことが感じられるようになってきます。

“to”には、単に向きや方向の感覚だけでなく、
『(状態は違っているけども)そこに向けて“繋がっている”』感覚があります。
そこから、“繋がっている”状態(to以下の要素)が目的・目標となり、今の状態から変わるようにグイっと推して促す感覚を含むことになります。

だから、ゼンマイ仕掛けのオモチャの例では、
『オモチャの方向をクルッと向ける感覚で“対象”をある行為(目標)に向けて促す感じ』になるわけです。

ところが、使役動詞では、直接的に目標となる行動と一致させることになります。
『今の状態から変わるようにグイっと推して“促す”』のではありません。
一致させるために、直接、動作概念のところまで“対象”を持っていってしまう。
“繋がっている”のではなく、“一致”です。

ゼンマイ仕掛けのオモチャの方向をクルッと向けるような間接的な感覚ではなく、
オモチャを目的の位置までダイレクトに手で持っていくことになるわけです。

だからto不定詞の“to”は不要で、単なる不定詞になるのですよね。

こういうふうに感じながら、使役動詞の文を読むと雰囲気が出てきますよね。

I make my husband drive my car on weekends.

ダンナが家に居る週末には、ゴロゴロ昼寝させておくのではなく、
強制的かつダイレクトに“運転”と一致した状態にさせて買い物に行く雰囲気が感じられませんか…(苦笑)
 

makeでは強制的に一致させる感じですけど、
haveでは、一致していて当たり前の感じ。
だからグイと向きを変えて促す努力は何も必要はありません。
最初から一致していて、その状態をhaveすればいいのです。

I have my husband drive my car on weekends.

ダンナはいつも運転するのが当たり前で、
毎週当たり前のように運転して出かけている雰囲気を感じられますか…?

letでは、“対象”を自由に望み通りの状態にしてあげるわけですから、
最初から“対象”が行う行動は最初から一致しているのです。

I let my husband drive my car on weekends.

平日は自分が運転している車を、週末はダンナが自由に使わせている雰囲気が感じられますか…?

“to”があるto不定詞になると、このダイレクトな感覚がスポイルされてしまうのですよね。

使役動詞として使われてたとしても、to不定詞になるのが“get”です。
getは動きが感じられる動詞ですから、
相手(対象)を変えていく感覚が伴い、to不定詞との相性が良くなるのです。

正直に言いますと、つい最近まで、私の使役動詞の理解度は20%ぐらいでした(苦笑)
感覚的に随分わかってきたような気がします。

『ハートで感じる英文法』で大西先生が書かれているように、
『“文法のルールだから”』という理解ではなく、
感覚的に分かってこそ、使えるようになってくるのですよね。

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2007年2月10日 (土)

“いわゆる第5文型”のバリエーション<V+■+to...>の感覚:ある目的とする行動・行為に向けて“対象”を促す感覚

一通り五文型の勉強をしましたが、今日はオマケです。
前回、少々触れましたto不定詞が来るカタチの整理です。

前回は、『ゼンマイ仕掛けで進むオモチャの方向をクルッと向ける感覚で“対象”をある行為に向けて促す感じ』と整理しました。

多少、説明不足の表現だったかもしれないな…と感じています。

この感覚を把握するためには、“to”の感覚をきちんと整理しておかないといけないですね。

“to”は向きとか方向を表す単語ですけど、
日本語で『方向』というと、方角のように向いている物理的な角度だけを意味しているように感じてしまいます。

でも、toは単なる方角だけでなく、繋がっている感覚があります。
「目的志向の繋がり」があります。

I go to school.

学校という目的に向かって、気持ちの上では繋がっています。

これに対し、方向だけの感覚だけのものは、“for”ですよね。

This is the train for Tokyo.

東京行きの電車に乗る人が、皆東京に行くことを目的としているわけではありません。
横浜が目的地の人もいます。
だから電車は方向だけを表す“for”なのですよね。

toには、今の状態とは違っているけども、そこに向けて“繋がっている”状態があります。

話を元に戻しましょう。

toには、このような感覚がありますので、
“いわゆる第5文型”のバリエーション<V+■+to...>には、
『ある目的とする行動・行為(動作概念)に向けて“対象”を促す感覚』が生まれてくるのです。

『ハートで感じる英文法』では、
『to以下の行動に押していく感触』と紹介されています。

I told him to do it.

相性のよいVは、tell, ask, orderのように「押す」感覚があるものとのことです。

『ある目的とする行動・行為(動作概念)に向けて“対象”を促す感覚』があるときには、
この<V+■+to...>のカタチを使うわけですが、
逆は真ではありません。

つまり、<V+■+to...>のカタチだからといって、
『ある目的とする行動・行為(動作概念)に向けて“対象”を促す感覚』があるわけではないです。

例えば、以前に出した例ですけど、

He must be a fishing mania to spend so much money on a fishing rod.

これも見かけ上は<V+■+to...>のカタチです。でも、『to以下の行動に押していく感触』ではないですよね(笑)

ここでの“to”も、“to”は“to”なのですから“繋がった感覚”を持っています。
但し、“a fishing mania”とダイレクトに強い繋がりがあるわけではなく
前の要素“He must be a fishing mania”と繋がっています。
前の要素で言い足りない内容と繋げるための“to”ですね。

使われる動詞(動作概念)でカタマリになっているわけではないので、
いわゆる第五文型の感覚をベースにしたものではありません。

いわゆる動詞がどのような動作概念を切り取っているのか、
イメージが掴めていれば、問題はなさそうですね。

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2007年2月 9日 (金)

いわゆる第5文型<V+■+~>の感覚:“対象”がある存在状態なるように働きかける感覚、仕向けていく感覚

では、やっと第5文型<V+■+~>(SVOC)のカタチです。

これも第4文型と同様に、基本は第3文型ですね。
“まず対象ありき”という部分はかわりません。
ただ、単にその“対象”に『力が及ぶ』『影響を与える』だけでなく、それにより“対象”を「ある状態にしていく」内容が加わります。
その説明が『並べると説明』の関係で“対象”(O)の後ろ側に“C”として並べられます。
“目的格補語”と呼ばれているものですね。

つまり、いわゆる第5文型は、“対象”(O)をどのような状態にするのか、それを説明する“C”が来ているものです。

動詞(V)と動詞の“対象”(O)は『並べると説明』の関係にあり、
同時に、動詞の“対象”(O)と、その状態を説明する“C”も『並べると説明』の関係になっています。
したがって、『並べると説明』の二階建て構造と言えます。
(主語(S)まで入れて考えると、主語と述語も『並べると説明』の関係なのですから、三階建て構造ですね)

〔V←(O←C)〕

このように、“対象”(O)は、二つの『並べると説明』に関わっていて、それが立て続けに出てきますので、
『ハートで感じる英文法』では、『ピボット』と呼ばれていますね。

I painted the wall blue.

ここでは、
I painted the wall
the wall (=) blue
の両者が合わさっているわけです。

単に「壁を塗る」ということを言っているわけではなく、
その壁を「青い状態にしていく」ことが合わさっています。

このように、第5文型の感覚は、“対象”がある存在状態なるように働きかける感覚、仕向けていく感覚とでも言えばいいのでしょうか…

第3文型と『並べると説明』が理解できていれば、どうということはありません。
基本は、“主体”と“対象”が存在する、第3文型です。
たまたま、“対象”の状態を説明する言葉が後ろ側についているだけですね。

“対象”の状態を説明する“C”の箇所に
いわゆる形容詞がきたり、現在分詞や過去分詞がきたり、to不定詞や原形不定詞がきたり、
いろんなバリエーションがあるので少々ややこしくなっているだけです。

さて、第5文型の面白いところは、
「ある状態なるように働きかける感覚」、「仕向けていく感覚」には、表現により強制度合いの強弱があるということです。

まず、上記の例文を見てみましょう。
I painted the wall blue.
これは、強制するという以前に、自分が行動してそうしているわけで、壁という“対象”には刃向かう意志が存在しませんから、100%自分の思い通りになります。
これはその状態をblueという形容詞で説明しているだけです。

ところが、“対象”が意志のある人間の場合にはどうでしょう?
大抵の場合は、相手の意思を尊重して、相手の行動がある状態に向くようにお願いしたり、促すことになります。
このときに使われるのが、to不定詞です。

この感覚、上手く表現できないですねぇ…

例えば…子供の頃、ゼンマイ仕掛けで進むオモチャで遊んだことはありませんか?
(ゼンマイでなくてもいいのですけど(笑))
ゼンマイ仕掛けで進むオモチャを、ある方向に進ませたい時、その向きだけを目標となる方向に向けてやります。
あとは、オモチャは自分で勝手に進みますよね。
実際にやってみると目標とは違う方向に進んでしまったりすることもありますけど、でも、それはオモチャの意志。
オモチャの意志や主体性を尊重した場合、こちらにできることは、オモチャの進行方向を向けてやることだけです。
その“対象”の動きの向きをある方向に向けてやること、これがto不定詞の“to”となって表れます。
だから、通常は、相手の意志を尊重して、“to”不定詞が使われます。

例えば、
I asked him to do that.

ところが、向きを向けてやるだけではなく、もっと強制力を発揮したいときもあります。それが使役動詞です。
このときには、「相手がそうなるように促す」(オモチャの向きを向ける)という生易しいものではなく、かなりの強制力が生じます。
向きを向けるのではなく、直接その行為に持っていってしまうのです。
オモチャの例で行くと、オモチャの進行方向を進ませたい目標位置に向きを合わせるのではなく、目標位置に直接そのオモチャを持っていってしまう。
だから、使役動詞では、相手の行動をある方向に仕向けていく(相手の行動がその方向に向ける)ことを表現する“to”は無く、強引に“対象”をある行動に一致させる表現になります。つまり、toのない原形不定詞です。

例えば、
I made him do that.

いろいろ小難しい分類を習いましたけど、ただそれだけのことなのだと思います。

“対象”(O)にto不定詞が続く場合や、原形不定詞が続く場合については、また整理しなおさないといけなさそうですね。

今日は頭が回りません。取り敢えず今日はここまで…

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2007年2月 8日 (木)

いわゆる第4文型<V+■+■>の感覚:『受け渡し』の感覚

いわゆる第3文型から第1文型、第2文型と見てきましたので、ここまでくると後はこれらの応用という感じですね。
今度は、いわゆる第4文型<V+■+■>のカタチです。

このカタチは第3文型(<V+■>、SVO)の行動の“対象”=目的語(O)が二つあって、SVOOとなっているカタチですね。
基本は、まず主体と客体(対象)が存在していて、その間で、力が及んだり、影響を及ぼしたりする感覚です。

行動の“対象”が二つ登場してくる場面は、どのようなものがあるかというと、
あるモノ・コトを、ある人に受け渡ししたりする時ですね。

例えば、もうすぐバレンタイン・デーですけど、
話題の女性からチョコレートを貰って、見せびらかしながら友人に威張ろうとしたとき、

She gave me the chocolate.

彼女から見て、登場する“対象”は二つ。“me”と“the chocolate”です。
“me”という行動のターゲットとなる“対象”に、“the chocolate”という受け渡しされるモノ(“対象”)が移動していくことを表現しています。
ここには明らかに受け渡しする感覚があり、その感覚があるときには、
いわゆる第4文型(<V+■+■>、SVOO)が使われることになります。

受け渡しするときには、“対象”が二つあるのだから、その対象を二つ並べる。
なんとストレートなのでしょう!(笑)

受け渡しされるものは、物でないときもあります。情報であったり、感覚的なものであったり、時間であるときもあります。
受け渡しされるものが何であろうと、『受け渡し』の感覚がある時には、いわゆる第4文型<V+■+■>を使う

大事なことは、受け渡しする授与動詞があるからこの<V+■+■>のカタチがあるのではなく、
このカタチがかるから、その動詞が授与動詞として機能するという感覚です。

文法用語では何故か、“me”に相当するものを“間接目的語”といい、“the chocolate”は“直接目的語”と呼ばれています。
彼女が直接手を触れるのは“chocolate”の方なので、“直接”目的語なのかもしれませんね。

ここで注意しなければならないのは、
『“直接目的語”に代名詞は用いない、用いると不自然に感じる』ということです。

例えば、先ほどの例文で、目の前に見せびらかしているチョコレートがあるので、
それを指示代名詞にして、
She gave me it.
にすると不自然に感じるとのこと。

何故でしょう???
(正直なところ、私はそういう文を書いてしまっていました(苦笑))

これには英語(…というよりも言葉?)の特徴が関係しているようです。
それは『新しい情報は文の後ろ側に来る傾向がある』という特徴です。
itは代名詞なので古い情報です。
だから違和感を感じてしまうのではないかと考えられます。

では、何故、『新しい情報は文の後ろ側に来る傾向がある』のでしょうか…?

日本語にしても英語にしても単語を順々に書いて話したい内容を伝えます。
英語においては、『並べると説明』という原則がありますから、後ろ側に説明がどんどん繋がっていきますよね。
説明は、細かく言おうとするといくらでも細かくなります。
でもあまり細かく説明を付け加えていくと何を言いたいのか不明確になっていきます。
どこで止めるかというと、伝えたいことが十分に伝わりそうな内容まで説明を付け加えられた時。
最初に文の骨格となる大まかなことを言ってしまい、それから伝えたいことが十分になるように説明を加えていくと、
大抵の場合、後ろ側に伝えたい大事な情報(言葉)が置かれることになります。

伝えたいことは、新しい情報です。
酔っ払って同じことを何度も言う人がいますが、それは聞いていなくても何も問題はないです。
新しい情報は全く入っていないのですから(苦笑)

『伝えたい新しい情報は文の後ろ側に来る傾向がある』理由はそれだけではないかもしれません。

伝えたいこと(言葉)を後ろ側に置くことで、頭の中に余韻として残りやすくなります。
途中で大事なことを言っても、すぐ後に別の言葉が続いてしまった場合、途中で言われた大事なことは一時的に頭の中のメモリー(短期記憶)に蓄えられてもすぐに上書きされる(過去の言葉として追いやられる)ことになってしまいます。
文の後ろ側に伝えたい新しい情報を置けば、上書きしてくるものがないので、響きが残ります。頭の中に残っていきます。
人間の認知メカニズムによるものなのかもしれません。

日本語でもそうですよね。
火曜サスペンス劇場で、
「お前が犯人だ!」
というより、
「犯人は、お前だ!」
と言った方が響きが残りますよね(笑)

だから、先ほどの例文では、“it”という古い情報が後ろ側に来るのは不自然。
She gave it to me.
と言った方が自然なのです。

伝えたい新しい情報は文の後ろ側に来る傾向がある』は、かなり大事な特徴なのかもしれないですね。

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2007年2月 7日 (水)

いわゆる第2文型<V+~>の感覚:(対象の無い)存在状態の説明『単なる説明』

では次は、“いわゆる第2文型”<V+~>のカタチです。
『ハートで感じる英文法』では、“~”には『名詞以外の要素もくる』と説明されていますね。

一般的に第2文型は、“SVC”と表記され、“C”は補語と呼ばれ、『主語と補語が“=”の関係で結べるもの』と説明されています。
そして、『どのような状態・性質なのかを説明する文』だと言われています。

これはとっても分かりやすいですよね。
ある面、英語の大原則の一つである『並べると説明』(二つの要素が並ぶと、後ろは前を説明する)に最も忠実な構造なのですから。

I am a boy.

“I”=“boy”
とてもすんなりと納得できます。

SVOの第3文型とは対照的に、主体と客体(対象)という対峙的な関係の無い、存在しているものの説明になっています。
このカタチの感覚は、『対象の無い、存在状態の説明』ですね。
「主体と対象の関係がない」というのがポイントです。
大西先生は、『ただの説明』と解説されています。
『並べると説明』が適用されているだけですから、『ただの説明』(笑)

このカタチの代表的な動詞がbe動詞。

be動詞の感覚については、以前にこのブログにも書かせていただきました。
元々、存在しているという概念を切り取った言葉なのですが、
前後に単語が来ると、伝えようとする内容は、その概念的・実態的に存在しているモノ、コトについてのことであることは
あまりにも当たり前のことなので、存在の意味は薄れ、
前後の単語を単に繋ぐ役割になっているものと解釈しましたよね。
だから、存在しているものの状態を説明することになり、“いわゆる第2文型”のカタチにはとても馴染みます。

もし第2文型の説明がここまででしたら何も問題ありません。
英語の『並べると説明』の感覚が分かっていれば、理解するために何の努力も必要ありません。

でも、ここからが問題です…
第2文型にはbe動詞以外のものがあります。

be動詞以外でこのカタチをとるものはそれほど数が多いわけではありません。
「~になる」:become, get, grow, turn, fall, go, come,
「~のままだ」:remain, keep, stay
「~のようだ」:look, sound, appear, feel

例えば、大西先生は次のような例文をあげています。
Taro became a dentist.

ここでヒネクレ者の私は、あれっ?と思ってしまいます。
感覚的に“=”と感じられないのですよね…

becomeには、SVに近い主語が“対象”となった働きかけが感じられるのです。
歯医者になるために頑張って勉強して、それで歯医者になるわけですから…

皆さんはどう思われますか?
私はとっても違和感があります。

「~のままだ」:remain, keep, stayにおいても努力が感じられてしまいます。
つまり主語が対象になって、維持できるように働きかけている第1文型の雰囲気が漂っているのですよね。

「~のようだ」においては、「~になる」や「~のままだ」ほど強い第1文型的印象はないですけど、
主語がある状態と繋がっている(向けられている)感覚があって、
その状態を補語で説明している印象を受けます。

まぁ…確かに、存在の状態を説明しているといえばそうなのですけど…

う~ん…やっぱりbe動詞以外は、第1文型の方が感覚に合っている気がします。

そもそも、主語と述語が『並べると説明』の関係になっているのですから、
“Taro” = “became a dentist”
です。

それなのに、S=Cという関係が成り立つと言うのですから、
“Taro” = “a dentist”

∴“became” = 0 ????

動詞“became”の立場が無いですよ(笑)

be動詞は、もともと“存在”を意味していても、言及しているものは存在しているもののことを言っているため、前後の言葉にその意味が含まれてしまい、
be動詞 = 0 
主語(S) = 補語(C)
となっても文句は言われないのですけど…
『主語(S)=補語(C)』の関係は、be動詞の意味が他に吸収されてしまったことによる結果に過ぎないはずです。
『主語(S)=補語(C)』の分類が先にあったわけではないはず。

私には、“分類することが第一優先”で、むりやり『状態を説明している』と同じグループにされてしまっているような気がします。
悠久の歴史を持つ(?)英文法にケンカを売るつもりはありませんけど、
(既に十分ケンカを売っている?(笑))
『第2文型は主語(S)=補語(C)となる関係になるもの』と説明するのなら、
本当にその関係になるものだけにすべきです。
be動詞はやはり特別な単語なのではないかな…

be動詞も元は
I am that I am.
のように、第1文型です。
第1文型のことを書いた時に、『並べると説明』の関係で後ろに並べられた要素は全てCになりうると捉えましたが、
第2文型は、第1文型でのbe動詞の意味内容が希薄になった特別なカタチなのだと思います。
だから、be動詞以外は第2文型には似合いません。

気を取り直して、整理しましょう。
私が英語を勉強する目的は、「英語を日本語のように感覚的に使える」ようにするためなので、
5文型の分類があるから、それに従うのではなく、
感覚的に使えるようになるための道具として5文型を利用したいと思います。

というわけで、いわゆる第2文型のまとめです。
(働きかける)“対象”が存在せずに、存在する状態や性質を説明するときには、第2文型<V(be動詞)+~>を使う

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2007年2月 6日 (火)

いわゆる第1文型<V>の感覚:自分が“対象”、自律する感覚

このところ仕事が忙しくて、なかなかブログにUPできませんでした。

さて…5文型の感覚を勉強しなおしていたのですよね。
“いわゆる第3文型”<V+■>は、形而上学的な主体と客体(対象)の関係があるという、
“まず対象ありき”で『力が及ぶ』『影響を与える』感覚でした。

では次は、“いわゆる第1文型”と呼ばれているカタチです。

一般的な文型の表記では『SV』
『ハートで感じる英文法』では、主語(S)が抜かれたカタチで<V>と表記されています。

この型は、動詞を説明する語が後ろに付いてこないので、極めて単純!
大西先生の説明では、『単なる動作』ですね(笑)

でも、それだけですと、どのような感覚だとこの文型を使うのか、なんだかよく分かりませんね。

第3文型のカタチと比べてみると、SVOのOが在りません。
Oは『力が及ぶ』『影響を与える』“対象”でした。
このときには、主語よりも外に“対象”が存在したわけですが、
この第1文型ではOが無く、動作の“対象”は主語(もしくは前の要素)ということになりますね。

つまり、自分(主語、前の要素)という“対象”に働きかけることになり、
自分が動いたり、自分が何かをしたりする感覚だといえそうです。

何か例を見てみましょう。

I go to school.

これは、述部だけを見ると
I go + (to school)
になっていて単純明快!
“I(自分)”が、“go(行く)”感じです。
自分(主語、前の要素)がVの“対象”です。

ところが、先日引き合いに出した例文を見ると、一瞬あれっ?と思ってしまいます。
I have to study English.

I go to school.と同じカタチをしていますけど、
これは第1文型でしょうか?

『ALL IN ONE』では、SVOC(“いわゆる第5文型”)の“C”にto不定詞が来ることがあると説明されています。
to不定詞は動詞の補語に成りうるということになります。
そう考えると、“to study English”は、Cとなって、第二文型SVCとも捉えられるのではないのか…???(苦笑)

そもそも“C”(補語)って何なのでしょうか?
多くの場合、第5文型よりも先にいわゆる第二文型が説明され、
その時に、このような説明がされています。
------------------
「主語とイコールの関係」になる動詞の後の要素を「補語(C)」と呼びます。
------------------
う~ん…いわゆる第2文型ではその通りなのかもしれないですけど、
第5文型SVOCではS=Cとはならず、O=Cとなりますから、
正確に説明するためには、『“前の要素”と=(イコール)の関係になるものを補語』と言わなければなりません。

よくよく考えて見ますと、『“前の要素”と=(イコール)の関係になる…』は、
英語の大原則『並べると説明』(二つの要素が並ぶと、後ろは前を説明する)のことを言っているに過ぎません。

なぁ~んだ!文の後ろ側に来る要素は皆“C”と同じ機能をするということじゃないですか!
あまり深く考える必要は無さそう。

後ろにCが来るとか来ないというのは大した問題ではなく、
動詞の後ろに、Oが来るか来ないかが大きな分岐点になるわけですね!

というわけで、動詞の後ろにOが来ない“いわゆる第1文型”は、
自分自身が“対象”となり、自分に力が及ぶ、自分に働きかける、自律する感覚です。

…というよりも、自分自身(主語、もしくは前の要素)が行為の“対象”となり、『自分に力が及ぶ』、『自分に働きかける』、『自律する』感覚の時には、いわゆる第1文型<V>を使う、ということになります。

これでスッキリしました。

このように捉えると、微妙なニュアンスの違いが出てきますね。

I will drive you to the station.

第3文型で引用したこの例を、第一文型のカタチに変えるとこうなります。

I will drive for you to the station.

なんだかジャパニーズ・イングリッシュ炸裂ですけど、
この二つの文は違う雰囲気が漂うことになります。

前者は、駅まで車で送ってあげたい“あなた”がまず存在し、それを私が行うニュアンス。
それに対し、後者は、私が運転することがまずあり、それが“あなたのため”であるニュアンスになります。
大した違いではないと言えばそうなのですけど(笑)

それに、自分自身が“対象”という文のカタチの感覚がわかると、次の文もとても味わい深く感じられます。

I think, therefore I am.  我思う,ゆえに我あり(デカルト)

thinkの“対象”が自分であり、それにより自分が存在する。
自分自身にVの行為が向かっている感覚が滲み出てくる感じがします(笑)

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